2013年1月14日月曜日

バタバタ帰国

ワイキキ 「Hyatt Regency Waikiki」内「SHOR」にて
 朝食ブッフェ $29.00
楽しかった3泊5日の旅行もあっという間に今日が最終日。午前11時半の飛行機に乗るべく、9時に迎えの車がホテル玄関にやってくる予定。
 
「さて。ホテル最寄りの朝御飯ということで2つプランを考えました。1つは"IHOP"というアメリカのファミレスみたいなお店でパンケーキ食べる。一応パンケーキ美味しいので定評があるお店ね。あと1つは、近くのホテルのブッフェに行く」
滞在ホテルの朝食はなんかイマイチらしいから、行くとしたら隣のブロックにあるハイアットリージェンシーが良いと思うのよね?と話したら、母は即答で
「それは……ホテルのブッフェじゃない?」
とのこと。
ああやっぱり、そうだよね、と思いつつ、ホテルブッフェの朝御飯。
 
「お部屋ナンバーは?」
とレストランの入り口で聞かれ、
「ビジターなの」
と答えたら、「あら、まぁ、わざわざお越しいただいて、ありがとう」的に歓迎されてしまった。歓迎の勢いで、ワイキキビーチを見下ろす位置にあるテラス席に案内してくれちゃって、潮風を感じながらの最後の朝御飯。場所はたいそう良かったのだけれど、今朝はいかんせん風が強くて、持ってきたほうれん草のサラダの葉がひらひら飛んでいってしまうほど。それもまた一興?と、苦笑いしながらいただいた。
 
品数はそれほど豊富ではなかったけれど(温かいスープがなかったのが残念……味噌汁とお粥はあったのに~)、オムレツコーナーがあったり、フルーツも色々あったりで、そこそこ満足な朝御飯。
 
そこはやっぱりオムレツでしょう、と、青葱やトマト、オニオンなどが並ぶコーナーで
「マッシュルームとハム、あとチーズ入れてね」
と作って貰ったら、笑顔のコック服のおばちゃんが
「うん♪良いチョイスね~♪」
と、歌うように具沢山のオムレツを華麗に焼き上げてくれた。オムレツには、フレッシュトマトがどっさりのサルサをたっぷり。これが本当にたいそうな具沢山ぶりで、すっかり満腹。
 
ココナッツシロップをかけたワッフルなどもいただいて、満腹にはならない程度で適当に切り上げて部屋に戻った。
 
……ら、部屋に戻るなり鳴る、ベッドサイドの電話。慌てて取ると、
「旅行会社の○○です。本日ご帰国の予定かと存じますが、搭乗予定のデルタ便が大雪のため欠航になりまして……」
だそう。
 
えええええー!?
 
昨日、関東が大雪なのはネットで見て知っていた。昨夜、フラダンス見ながらtwitterに繋げたら、都内に住んでいるはずの友人がアップロードしていた写真が雪景色で、めちゃめちゃ驚いたのだった。都内のみならず、温暖な千葉まで積もっているらしく、「電車は平気かなぁ……でもまぁ、明日は晴れるみたいだから空港も大丈夫だよね」と楽観視していたのだ。
 
いわく、成田からハワイに飛んでくる昨夜の便が欠航になったので、機材がないとのこと。機材以前の安全の問題でも、デルタ航空は成田に向かうことを中止すると決断したとのこと。
 
「日航は飛ぶみたいですが……お客さまはデルタ便ですので」
だそうで、「大阪か名古屋、福岡行きでしたら本日のデルタ便の席をお取りできます。ですが天災が原因での対応ですので、到着地からご自宅までの交通費はご自身で負担ということになります」だそう。
 
一番近いのは名古屋としても、セントレアから東京までの新幹線代(or飛行機代)は、けっこう痛い。相当痛い。
それに、もう朝の8時も過ぎたこの段階からそのあたりに飛んで、それから東京に移動して千葉に戻るとなると、当日中に着けるかどうか、それも不安だ(そもそもそれほどの雪、電車も無事に動いているかどうか、始発も動いていない今この段階ではわからない)。そしてそして、私も母も、成田空港にダウンコートを預けてしまっているのだった。コートなしで雪が降った翌日の国内移動なんて、間違いなく風邪をひきそう。
 
「欠航で振り替えが必要ということでしたら、明日の成田便ではダメですか?」
色々考えるとそっちの方がいい、と、そう伝えてみた。
 
「そうすると、ホテルの延泊費をご負担いただくことになりますが……」
「ホテルの延泊料金でしたら払います、それで問題ないです。お願いします」
「今現在、空席のチケットを各社で取り合い状態なんです。では、お客様はその方向で調整します」
と電話が切れた。
 
あらまぁ、1泊延びちゃうらしいよ、どうしようか……猫はこうあることを予想して旅行時にはいつも多めにフード置いてきてはいるけれど、問題は今日大阪のだんな宅から自宅に戻るはずの息子だわ……と、出発直前の最後の荷造りを中断して母と2人、半ば呆然としていたところで、電話続報がきた。
 
「えー……お客様の便は欠航ということでそれはお伝えしたとおり確定なのですが、本日成田便が1便出ることになりましたので、調整中です。とりあえず、当初の時間通りに空港にお越しください」
ですって。
 
え?やっぱり空港に行かなきゃなの?最後の荷造り中断しちゃったよ?と、バッタバタになりながら、とにかく空港へ。空港への送迎タクシーでは、日本語が堪能なおっちゃんが、パンケーキショップ「eggs'n things」のオーナー感動話を教えてくれた。閉店した(火事だったか移転だったか)店舗に勤めていた古くからの社員10人以上に対し、給料は出せないけれど保険は払うから、と、1人頭月額500ドルほど、1年近くに渡ってオーナーが彼らの生活を支えてくれていたのだそうだ。
 
「従業員は家族同然だから」と、自身も大変だった中社員を助けたということで、その話がラジオだか新聞だかに紹介されて一躍有名になり、「みんなでエッグスンのパンケーキを食べに行こう」みたいな風潮になったのだそうだ。日本人が大挙して訪れるようになる前の話とのこと。
 
「イマはー、アラモワナセンターに新しいオミセ、できましたデショ?イマはまだね、あっちのオミセは空いていマス。でもニホンのヒトタチは、キチガイみたいにタクサンやってくるからネー」
アッチもすぐにタイヘンなコトになっちゃいマスネー?と運転手さんは笑っていた。そうなのよ。日本人観光客って、イナゴの大群みたいに同じものに群がる習性があるのよ。食べ尽くすと「次」に行っちゃうのよ。なんででしょうね。
 
楽しい運転手さんの話で、空港への道のりもあっという間だった。少し心も軽くなった。
そして、空港の旅行会社カウンターで憂鬱な説明聴講タイム。
 
私たちの乗るはずだった便の1つ前の成田行きデルタ便が5時間遅れほどで発つことになったとのこと。
臨時便ではないので、本来の予約席のチケットを持つ人はそのままで、空いていた隙間の席に私たちの便の乗客をねじこんだ形で、私と母はバラバラに離れた席。しかも他人に両側を挟まれた内側の席で、そんな状況だったけれど、でもなんとか日付をまたがずに日本に帰れることが決まったのだった。
 
そんな「余りの席」を奪い合うような形で席を取ってくれた状態だったので、これにも乗れない人がたくさん居たのだろうと思う。今日のうちに帰れることを感謝しなければいけないのだろう。
 
ほんのちょっと、「わーい、延泊だー」と思ってしまったのだけれど、でもこれで良かったのだと思う。そろそろ猫も気になるところだったし、息子を寒い自宅で一人にさせるわけにもいかなかったし。
デルタ航空機内食
 フルーツとヨーグルト
 若鶏のセサミソース仕立て、温野菜、バスマティライス
 チーズ・クラッカー・パンとバター、ジャム
 ブラウニー
 オレンジジュース
日本も荒天なら、今日のホノルルも荒天。
 
雨季ではあったけれど、滞在中は「気がつけば道路が濡れている」といったくらいで、外を歩いている最中に大雨に出くわしたことは一度もなかった。ごく軽く、霧雨や天気雨がちらちらと、というくらい。
 
だけれど今日、出発前の空港は荒れに荒れて、2時間ほども土砂降りが続いた。雷まで聞こえてくる始末で、吹き抜けのエリアが多い空港も、ひんやりと雨の冷気が漂ってくる肌寒さ。私たちはすごく幸運な事に、コンセントがついた柱に接した奥行きのあるベンチに場所を取ることができて、ここで出発までの3時間ばかりを過ごしていた。
 
そんな今日の天気の中飛び立った飛行機は、揺れに揺れた。これまでの人生5指くらいに入る揺れだった。
 
「揺れてるねー、でももうなんか待てないから料理の提供、開始しちゃうね」とばかりに、通常より1時間ばかり遅れて食事の提供があったのだけれど(だから食事の提供ができるくらいの、"酷すぎない揺れ"ではあった……ということなのか)、
「揺れますので、揺れてますので、どうぞご注意くださいね~」
と渡されるカップのジュースが跳ねて落ちそうになるくらいの揺れ。
 
だから、機内食の味もほとんどわからなかった。揺れが激しい時はテーブル押さえて下向いて「揺れないで~揺れないで~」と必死で念じて、ちょっと揺れが収まったところで食べられそうなものを一気に食べる、みたいな。
 
本来の出発が8時半頃の便だったので、メニューはかなり「朝御飯」的なもの。選択は「チキンか卵(スクランブルエッグ)か」というのが面白かった。微妙に空腹を感じていたので、インド米を添えた中華風のチキンメニューを選択したのだけれど……味なんて全然覚えていない。
 
「そっか、日本は今……翌日の昼前なわけだな」
と、ここで気がついて時計を日本時間にセット。
 
この食事、ハワイ時間では「1/14のかなり遅めの昼御飯」だったわけだけれど、日本時間では「1/15のちょっと遅めの朝御飯」だったわけで、
「あれ?私の2013年1月14日の夕御飯はどこ行っちゃったの?」
と、たいそうたくさんな食事をした1月11日の事は棚に上げて、時差のミラクルに思いを馳せつつちょっと窮屈だった機上を満喫。時差ボケ対策に、一睡もせずにがんばったのだった。